アブー・ミーナー(4世紀)

アレキサンドリアの西50キロ弱のところに位置するアブー・ミーナーの遺跡は、エジプトでもっとも敬愛される聖者ミーナー(メナス)の墓廟を中心として拡がった巨大な僧院群と都市の名残りを見せている。聖ミーナー(アブー・ミーナー)は3世紀の殉教者で、もともとローマ軍の兵士であったがキリスト教徒であることを公にして殉教する(296年)。彼の亡骸をラクダに積んで部隊が移動したところ、今日のマレティオス湖の近くでラクダが座り込んでしまった。それを天のお告げと解釈した人々によってミーナーの亡骸がその地に埋葬され、それが今日まで伝わる聖者廟となる。この周辺から流れ出す泉がさまざまな奇跡をなすとして、古代世界で聖ミーナーの墓廟の地は有名となり、以後、東方世界でも有数の巡礼地となった。 今日のアブー・ミーナー遺跡の中心を占めるのは、地下に聖者廟を収めた殉教聖堂、大バシリカ、洗礼堂の「三部作」で、その拡がり具合から聖堂が徐々に規模を増していった様子が窺える。聖者廟は、古代世界で一般的だった地下墓室(ヒポゲウム)のかたちをとり、その上部に殉教聖室が建設された(4世紀末)。その後徐々に規模を大きくし、6世紀のユスティニアヌス大帝の時代に東側の大バシリカが建設され、古い建物も全面的に造り替えられた。 この「三部作」の北側には巡礼者用の居住区画の跡が拡がり、店舗や公衆浴場が存在したことも確認できる。6世紀末にはこの区画を含めてアブー・ミーナーの建築群をとりまいて周壁が造られたが、この内部に僧院が存在していた痕跡は認められない。この周壁の外側にはさらに「北のバシリカ」や「東の教会」の遺跡があり、この周囲には隠修所が散らばっていた。「東の教会」はコプト教会の中では珍しく四葉型平面を採用している。 アブー・ミーナーはイスラーム時代にも巡礼地として栄えるが、12世紀に至って人々も去り、やがて廃墟となってしまう。(三宅理一)

図面
  • 1-殉教聖堂
  • 2-大バシリカ
  • 3-洗礼室
  • 1-1 全景
  • 1-2 現代教会