聖マカリオス修道院(360年)

ワーディ・ナトルーンのもっとも偉大な聖者といわれるマカリオスを起源とするこの僧院は、現存する四つの僧院の中ではもっとも東側に位置し、ほかからかなり離れたとことにある。マカリオスが彼を慕って押しかける隠修士の群から身を遠ざけるためにこの地に移った紀元360年頃がその始まりとされる。それでも、彼が他界した390年にはこの周りに2400名余りの隠修士が居住していたといわれ、一番弟子であったパフヌティオスによってその共同体が率いられていく。それとともに聖マカリオス聖堂を中心として食堂や宿泊所などが続々と建てられ、482年には皇帝ゼノンが建築家を二名派遣して大理石を用いて建築に当たらせたと記されている。ちなみにこの皇帝ゼノンの皇女ヒラリアが男装して修道僧としてこの僧院に起居していた逸話は有名である。

この聖マカリオス(アブー・マカル)修道院の建築で特徴的なことは、今日の周壁に囲まれた区画が最盛期のものに比べ半分以下の面積となっているという点であろう。少なくとも10世紀までは、たとえ遊牧民の襲撃があったとしても、それなりの建築を築き維持してきたが、その後僧院の力は徐々に衰え、マムルーク朝の弾圧とペストを同時に体験した14世紀以降は荒れるにまかせたままであった。そのことが僧院の縮小化を招き、9世紀半ばに建てられた大規模な聖マカリオス聖堂も三つの至聖所を除いて取り壊されてしまった。内陣と至聖所だけがそのまま新たな聖堂として用いられてきた。

他方、避難塔は、聖ビショイ修道院のそれと似てきわめて規則的に計画され、11世紀後半の建立と推測できる。聖マカリオス聖堂の身廊部分を取り壊してできた中庭に面して、今世紀初頭の建立になる49殉教者の記念聖堂が構えている。これは、444年にこの僧院で起こったベドウィンの襲撃による集団殉教を記念するもので、身廊内部に設けられた基壇はかつてその殉教者たちの墓があったと想定される場所である。(三宅理一)

図面
  • 1-正門
  • 2-聖マカリオス聖堂
  • 3-聖イスヒロン聖堂
  • 4-避難塔
  • 5-僧房
  • 6-49殉教者記念聖堂
  • 7-庭園
  • 8-製粉所
  • 9-井戸
  • 2-4-1 全景
  • 2-4-2 列柱建物
  • 2-4-3 建物細部
  • 2-4-4 聖マカリオス聖堂
  • 2-4-5 避難塔
  • 2-4-6 聖イスヒロン聖堂
  • 2-4-7 49殉教者記念聖堂