ムハッラク修道院(4世紀末頃)

アスユートの北、クスカム山の麓に位置するこの僧院は、聖家族のエジプト避難の伝承にまつわる特に知名度の高い僧院である。巡礼たちがひっきりなしに訪れ、その結果、彼らを宿泊させるためのゲストハウスなどが僧院の内外に建てられており、ある意味ではエジプトでもっとも活気ある僧院といえそうだ。

しかし、そうした建設ブームがこの僧院の考古学的正確さをさまざまなかたちで壊しているのも事実で、ワーディー・ナトルーンや紅海沿岸の僧院と比べるとやや「乱開発」の兆候を見せているのは否めない。

この僧院の場所が聖家族の避難地であり、この起源がそこに求められるのは確かだとしても、実際にどのようなかたちでこれが創設され発展してきたかについては諸説がある。4世紀末のアレキサンドリア総主教テオフィロスの文書によれば、彼自身が聖母マリアのお告げを受けそこに顕現したイエスみずからに対してこの聖堂を献堂したと記されている。その文章の内容から、聖母マリアに捧げられた初期の聖堂(聖処女聖堂)が、この頃に建設されたと解釈されている。もっとも、今日残る聖堂は、お椀型のドームを並べたスタイルで中世半ば(12世紀頃)の建立とみなされている。聖家族の居住地であったとされる至聖所の部分は創建当初の装いを若干残している。

この僧院には、上記聖処女聖堂以外に19世紀建設の聖ゲオルギオス聖堂があり、また高さ16メートルの避難塔(12世紀)が建てられ、その内部にも大天使聖ミカエル聖堂(礼拝室)が設けられている。

「ムハッラク」の名はアラビア語で「焔による傷」を意味し、かつてこの僧院が外敵の侵入によって放火され炎上した故事にちなんでいる。(三宅理一)

図面
  • 1-聖母聖堂
  • 2-避難塔
  • 3-聖ゲオルギオス聖堂(19世紀建設)
  • 4-僧房(1936年建設)