聖シェヌーダ修道院(白の修道院)(442年)

4世紀から5世紀にかけて、このソハーグの地で活躍した聖者シェヌーダ(シェヌーテ)によって創立され発展を遂げた僧院であり、ほかの多くの僧院のモデルとなった。ソハーグの町から西に10キロほどの地は、ちょうどリビア砂漠が始まるところで、僧院開設のはるか以前から隠修士たちが住み着いていた。シェヌーダは幼少(5歳もしくは7歳)にして、叔父の隠修士ビジョール(プジョール)の下に出され、砂漠の隠修士として厳しい訓練を受けた。やがて成人した彼は、この地域のリーダーとして僧院の組織化を始め、今日の聖シェヌーダ(白の修道院)の基礎を築く。現在残る僧院の建物(聖堂本体)は、シェヌーダ存命中の、5世紀前半に建設されたと考えられ、コプト僧院の中でも特に古代の装いを残す遺構である。

古代から中世にかけてのこの僧院は、聖堂を中心としてかなりの規模に拡がっていたようだが、一部が発掘されただけで未だその全貌はわかっていない。少なくとも聖堂本体には城砦的な意味合いがこめられており、わずかに限られた出入口と厚い壁体を通して、危急の際の備えとなっていた。この石の積み方やコーニスの付け方を眺めていると、明らかに古代エジプトの神殿と共通する重厚な造作を示している。

聖堂の規模を比較すると、同時代のローマのサンタ・マリア・マジョーレ聖堂に匹敵し、当時としては世界最大級のバシリカ式聖堂であったことがわかる。東ローマ皇帝より直接の援助を受けるなど、シェヌーダの「政治力」が発揮された結果ともいえよう。ともかく、この聖堂は三葉形の至聖所をもち(祭壇は三葉形の中心に置かれていた)その手前に聖職者区域(プレスビテリオン)が設けられ、さらにその境界は凱旋門状のアーチとなった壮大な構えのものだった。古代エジプト神殿の残り香、ローマ的モニュメンタリティ、コプト典礼といったものが混じり合って新たな建築様式を生み出したといえそうだ。

個々のスペースを眺めてみると、たとえば身廊、側廊の南側の細長い一画は俗に南側ナルテクスと呼ばれているが、その用途は聖職者のための司祭館の役割を果たしていたと推測され、そこに接続する東側の方形のスペースは図書館と考えられている。西側にある本来のナルテクスも、その北側がニッチ面に沿って半円状に並んだ円柱を擁し、反対の南側を階段室(その手前も半円平面があった)となしている。この建物で用いられた円柱の大半は、古いローマ建築のものを転用したと思われ、内陣を見れば明らかなように、高さの異なる円柱に適当な継ぎ足しを行って高さをそろえている点が面白い。(三宅理一)

図面
  • 1-正門
  • 2-至聖所
  • 3-内陣
  • 4-身廊(旧プレスビテリオン)
  • 5-洗礼室
  • 6-身廊
  • 7-側廊
  • 8-前廊
  • 9-ナルテクス
  • 10-図書館
  • 11-南側ナルテクス